先日天才テレビくんで「テレビ戦士が声優に挑戦!」のコーナーを観ました。
テレビ戦士の出演番組のNHK放送「ファースト・デイ わたしはハナ!」に娘が強く関心を持ったよう。
放送が終わるなり「お母さん、この番組みたい」と6/4(金)放送スタートを覚えていて指折り数えて楽しみにしていました。
ファースト・デイ わたしはハナ!
12歳の主人公ハナは身体が男性、心が女性のトランスジェンダーの女の子。
番組では全4回の放送でハナが本当の自分として歩き出す”最初の一歩”の物語が描かれています。
小学校では女性としての服装等が認められなかったが、中学校では自分のありのままの制服に身を包んだハナ。
不安と葛藤しながらも新しい友人関係をつくっていく。
以下第一話の内容を含みますので、これから見るよ!という方はまた是非観た後に。
身体は男の子、心は女の子主人公ハナ
小学生の娘、保育園児の息子にとって「トランスジェンダー」の方は普段なじみがありません。
「身体は男の子だけど心は女の子」という言葉だけではイメージしにくいように見えました。
しかし主人公の女の子の小学校での過ごし方・春休み・中学校進学という一連の流れが第一話で描かれているので、性が一致しないことへの不安や葛藤を少しずつ画面上から感じ取っているようでした。
話が前後しますが、女の子の制服を着て試着室から出てくる娘を見た時のお母さんの嬉しそうな顔がグッときました。
小学校の理解のなさと同級生の嫌がらせ
小学校では本名のトーマスで生活をしているハナ。
ネイルや長く伸ばした髪型もからかいの対象になってしまいます。
また小学校側も女の子としてのふるまい・生活を認められないというルールの中でハナは本当の自分を閉じ込めたまま生活をしている様子が描かれます。
なにかと言葉をかけてはハナをいじめるイザベラ。
「あら、トーマス坊や」とハナが不安に思っていること、嫌だと思う事をわざと本人に言っているのが伝わってきます。
子どもたちは意地悪なセリフを言うイザベラに
「何でそんなこと言うの?」
と純粋に疑問が沸いたようです。
「グリンチのように自分の心が小さくなっていると、他の人の嫌なことをしたいと思うことがあるんだよ」と答えました。
人から愛に満たされていないグリンチのこころは人の1/3程に小さくなっていて、みんなのクリスマスを盗もう!と企てたが、少女シンディ・ルーの優しさに触れて心の大きさが大きくなるシーンが最後に出てくるのが忘れられなくて。
自分の心が満たされないと他の人を妬む、意地悪したいという気持ちに繋がる。
中学校での同級生の緊張の一言
中学校では仲良い友人もでき、学校生活にも慣れてきた頃、クラスメイトが何気なくハナに質問をします。
「ねぇ、ハナ。なんで”だれでもトイレ”使ってるの?」
だれでもトイレは多目的トイレの事を指しています。
中学校でハナという名前・女の子として通学することを認めている中学校側との約束が
「だれでもトイレ」を使う事。
一瞬ハナの顔に緊張の色が走りますが「知らないの?だれでもトイレって広いのよ。」とその場をなんとか過ごしました。
しかしその後「だれでもトイレ」の前でハナが一番会いたくなかったイザベラにばったり遭遇。第一話はこの後またイザベラとの関係やハナの揺れ動く気持ちが描かれていきました。
放送を見た後の子供達の変化
次の日に公園に行った時、多目的トイレを使用する娘がさらりと「だれでもトイレ」使ってくるね。と話していました。
番組を観た後に「どう思った?」「これは大事な問題でね・・・」といった話はしていませんでしたが、それぞれ子ども達なりに考えたことがあり、 考えた結果がこうやって日々の言動や選択に現れてくるものなんだな。と改めて感じました。
世の中には色んな考え、人がいるということ。
思いやることは想像力を働かせることだということ。
その想像力を育ててくれるのは様々な情報に触れ体験して、考えることだということ。
世の中が色んな人が生きやすい世界であるように、そして子供達自身も色々な選択肢を描いてうまく自分で人生を舵きりできるように、一緒に学んでいきたいです。
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