1年半前の下書きを発見、今の気持ちに通じるところがあったので時差投稿。
先日何か映画観たいなとAmazon primeをぷらぷら。ふと目に止まったのが「365daysシンプルなくらし」というフィンランド映画。
実はこのブログのタイトル「360°days」に似てるなぁと思ったのがきっかけ。
登場人物
主演、ペトリ
(脚本家でもありカメラマン)
Juho 弟
Etro 親友
Pete 幼なじみ
あらすじ
失恋した主人公が持ち物全てを倉庫に預けて生活をオールリセット。
身一つで、1日1つ必要なものを取りに行くという”実験”生活。
裸一貫で企画スタート
day1 ブランケット、靴
0:00時にスタート。
雪の積もる深夜の街中をゴミ箱の蓋で身体を隠しながら倉庫に向かう図。シュール。
最初に必要なそうなものを手に入れる。
day6 シャツ
暖かさか着回しの良さをとるか?シャツの種類で本気で迷うペトリ。
「服に身を包むのは気持ちいい」という感想。
これは、今まで一度も感じたことがない感情かも。
仕事場にて。
靴下もパンツも履いてないのは誰も気づかない。
意外に人って他人のことは見てなかったりしますよね。
day7 ベッド、day8
毎朝こんなに幸せだといいな。
ものを取り出すたび幸せ。1年が祭りだ。
毎日必要なものを取りにいくことが幸せ、と思える感覚。
すでにこの企画を始めた悟りの境地に近づきはじめているのでは?
day10 突然の悟り
生活には7個で必要。
8まで何かを取り出すたびに幸せと感じていたときとは正反対の感情が生まれたのが興味深い。
何もいらない。
何も欲しくない。
まるで反抗期の子供だな。
モノに反抗してる。
10日間倉庫に行かなかった。
”モノに反抗してる”という言い回しが、これ以上モノを増やしたくない。モノが増えていくのが耐えられないという叫びに聞こえる。
day41 年配の女性登場
「そのひげは何?」とペトリの顔をみるなり大笑い。つられて笑っちゃうペトリ。
そのあまりにも自然なやりとり、笑顔に「演技じゃないみたい」と思い調べてみると
そこで初めてドキュメンタリーの記録だと知る。
やっぱり親しい人に向ける顔って違う柔らかさがあるよなぁ。
day153 とっておきの品
6ヶ月頑張り、故郷に帰ってとっておきのものをもってかえるのは・・・車
甥っ子?小さな子供とのやりとりでかわいらしい会話をメモ。
子供: 恋しいものは?
ペトリ: いい質問だ
子供: 恋人じゃない?
最初の50-60以降何も欲しくない。
そこでおばあちゃんに相談するペトリ。
「人生はモノで出来ていない」
「他の何かだよ」
day ?
失恋からスタートしたペトリに新しい恋到来。マイヤとキノコ狩り、キャンプ。
マイヤとの仲を友人に相談。
友人の引っ越しパーティーに誘いたいけど、そうしたら友人公認になって本気宣言みたいになって後戻りできないのも恐い
というリアルな声。
責任持ちたくない、公認の関係になる怖さ?
恋人同伴で出かける機会が多い海外ならではの悩みなのかな。ステディな関係になるのは避けたいというのは万国共通な気がしました笑
day302 おばあちゃんの体調悪化
彼女の冷蔵庫壊れた。物々交換サイトで探すもお目当ての冷蔵庫はない。
修理代は新しく買うより高くつく。
買うか無視するか。究極に悩むペトリ。
ものを簡単に買わない、修理やDIY、人に譲ったりするのが当たり前の文化。
これが「北欧の暮らし」なんだろうな。
「家庭はモノで生まれない」
「モノはただの小道具よ」
(ペトリのおばあちゃん)
深い。
365 まとめ
「365日一つずつ必要なものを倉庫から取り出す」という実験生活を終えたペトリが語ります。
生活に必要なモノは100個くらい。
その次の100個は生活を楽しむため。
所有とは責任でありモノは重荷になる
どんな重荷を背負うか僕は自分で決める
人生はモノでできていない
何かを買うこと、所有することは”責任”であるとは考えたこともなかった。
責任と同時に管理する時間も生まれる。
そしてモノを所有することは同時に重荷である。
これはここ2年程少しずつ産後増えたものを断捨離している中で強く感じていました。
所有が増えれば増えるほど、理想の生活の重しになる。
本当にやりたいことや大事な人と過ごしたい時間をたいして大事でないモノの管理で時間を奪われている、という皮肉な状況に何年も陥っていました。
2021年の年末、この記事の骨子を書いた当時より重しをいくつか外して身軽になっています。
かろやかな気持ち。
コメント